登山小説書いてます(2)
佐々木「先輩、山登りはどうでした?」
佐々木春樹は派遣社員として同期ながらも、私を先輩と呼んでくるちょっとふざけた奴だ。34歳と俺よりも4つ若い。180㎝と高身長・スマート・イケメンと三拍子揃っており、誰にでも愛想が良く女性スタッフやお客様にもウケが良い。それが功して売上に貢献し、33歳にして1年目でタナカ電気の正社員になれたのは言うまでもない。そんな佐々木は意外にも登山が趣味で、山岳会という会員になっているようだ。だが基本的には大勢いる中で可愛い登山女子を物色して仲良くなり、個人的に登山に繰り出すのが奴のポリシーらしい。かといってその後付き合うわけでもなく、また別の女子と山に行くのだそうだ。職場においても、彼が女性スタッフと付き合ったなどの噂を聞いたことがない。そういえば、私に登山を勧めたのはこの男である。
島田「楽しかったよ」
私は何となく佐々木に対抗心を持ってしまい、ついつい嘘をついてしまった。
佐々木「そりゃ良かった。高尾山は登りやすいですもんね」と微笑んで答える。何とも憎めない笑顔だ。
島田「佐々木くんのおかげで良い運動になったよ。まぁひとりで雨の中の山登りだったから、ちょっと寂しかったかな」
佐々木「先輩もどうです?山やってる女の子紹介しましょうか。女の子と一緒に行くと、雨でも雷でも山が楽しくなりますよ」と軽いノリで言ってくる。
島田「俺はいいよ。個人的に女の子と話すの苦手だし」
佐々木「先輩、そんなこと言わないでくださいよ。実は最近、山岳会でメルアド教えてほしいって言われて交換した子がいるんですけど。正直言って、俺のタイプじゃないんですよ。でも先輩となら合いそうな気がするんですよね」
島田「なんだよそれ」
佐々木「まぁまぁ、俺からも彼女に言っとくんで。なんかその子、最近山を始めたばかりみたいで。近々陣馬山に登りたいって言ってたんで一緒に行ってあげてくれないですか?あとで彼女のメルアド送りますね」
私は彼のいつもの強い押しに負けて、ついつい安請け合いをしてしまった。それが彼の良いところでもあるのだが、いつか社内でトラブルを起こさないかと心配してしまうのは私だけではないはずだ。
そう思っていたのも束の間、開店と同時にお客様が雪崩れ込むように入店。本日も忙しくお客様の接客に勤しむのだった。
職場のタイムカードを通した時には、すでに21時をまわっていた。いつものように散り散りに帰宅する社員たちと挨拶を交わしつつも、その後は誰かと会話することもなく独り駅の方向へと足を向ける。携帯電話の画面を確認するも、お決まりのニュース速報やアプリからの告知メールが映し出されるのみ。駅のロータリーに辿り着くと上りの電車が停車した後だったのか、下車した人々の群れが私の横を通り過ぎる。手を繋ぎながら、歩幅を合わせて笑顔で歩くカップルや親子連れ。仲間とふざけ合いながら駆け足で家路に向かう学生たち。そんな心温まるような情景に溶け込む人々は、まるで私を透明人間として扱うように次々と去ってゆく。つまり私の乗る下り電車の行先電光表示板には、孤独という文字が表示されていてもおかしくないのだ。電車の揺れに身を任せながら最寄駅に到着し、歩いて15分の所に私の住むボロアパートは佇んでいる。駅と自宅の中間に位置するスーパーに立ち寄ったこともあり、玄関に辿り着いた時にはすでに23時をまわっていた。いつも通りに半額弁当をスーパーで購入し、帰ってきたら風呂の水を沸かすというルーティンを実行。その後はシューズの泥を洗剤とブラシで落としつつ、一昨日の汚れた衣類を洗濯機にかける。風呂に浸かった後は部屋着に着替え、梅雨の時期であることを考慮して脱水の終わった洗濯物を部屋干しにする。部屋の片隅に置いた除湿剤はすでに水が上部まで溜まっていたため、新しいものに交換する。その後は温めた弁当片手にテレビのニュース番組を見つつ、寂しさを紛らわすためにひたすら胃にビールを流し込む。弁当が食べ終わり、ほろ酔いのまま歯を磨き目覚まし時計をセットして布団に潜り込む。目を瞑った次の瞬間、携帯電話の着信音が部屋に鳴り響き飛び起きてしまった。何事かと待ち受け画面を覗くと、そこには河西夏海という名前でメッセージが届いていたのだった。
河西「こんばんは。夜分にすいません。初めてメールします、河西夏海と申します。実は佐々木さんから島田さんのことをお聞きしまして。ご友人である島田さんが、山に興味があるみたいだから登山のイロハを教えてあげてほしいと佐々木さんに頼まれました」
との文面が送られてきていた。
その数分後に送られてきたメッセージには
河西「間違っていたらごめんなさい」
と綴られていた。
数秒の間、硬直している自分がいた。佐々木の言っていたことが、まさか現実になるとは思いもしなかったからだ。長年、女性と個人的にメールや電話のやり取りをした事がない自分にとってはまさに想定外の出来事だった。緊張感からか、喉が渇いてゆくのが分かる。唾を飲み込んでも喉元が潤う感じはなく、息を吸い込んだ後につい咳き込んでしまった。
はやく送り返したいが、どんな言葉で返信すればよいのだろう。変な文章を送って嫌われないだろうか。悩んでいるうちに、無情にも刻々と時間は経過していってしまう。こんなチャンスは2度とないかもしれない。当たり前の話だが声を聴いたわけでもないし顔も見たことはないが、心躍る自分が鳴りを潜めているのが微かに分かる。携帯に触る指が震えるのと連動するように、心臓の鼓動さえ速く大きくなる。結局その夜は返事を返せないまま、あまり寝付けず朝を迎えてしまった。
翌朝はドン曇りの小雨から始まった。全身の痛みは大分軽くなったものの、気圧の変動も影響してか右足首に荷重をかけると激痛が走る。いつものように朝食を済ませたあと、念のため鎮痛剤を口の中に放り込んだ。そして昨日の悩みを解消するべく、目を瞑りながら頭の中で文章を整理する。一呼吸置いたのち、河西夏海という女性にメールを打ち込むことにした。
島田「おはようございます。初めてメール致します。島田秋生と申します。昨夜はメール頂き、ありがとうございました。佐々木からは、河西さんのことは伺っておりました。この前、高尾山に登ったのですが、雨に降られて寒くて散々な思いをしました。色々と教えて頂けると嬉しいです。今後とも宜しくお願い致します」
一通り文字を打ち、もう一度読み返して問題がないことを確認した。胸の高鳴りを感じながら、震える指で送信ボタンを押した。朝食後の二杯目のコーヒーを飲みかけた瞬間、メールの着信音が鳴った。急いで携帯の画面を確認すると、河西夏海からの2通目のメールが届いていた。メールを開く瞬間、自分自身が緊張しているのが分かる。開きたい衝動を抑えきれず、コーヒーを飲むのも忘れて携帯のメール画面を開いて注視する。
河西「島田さん、おはようございます。返信して頂き、ありがとうございます。高尾山に登ったんですね、雨で寒かっただなんて大変でしたね。本当にお疲れ様でした。私自身もそんなに山には詳しくないのですが、島田さんと情報を共有しつつ成長できたらなと思っています。今後ともよろしくお願いします」
息をするのも忘れて一文一文をしっかりと目に焼き付け、読み終わった瞬間ほっとしたのか溜息が溢れる。嬉しさのあまり「よしっ‼︎」と言い、溢れ出る笑顔でガッツポーズをする。数分も経たないうちに、またメールの着信音が鳴る。
河西「度々すいません。もしよかったら、今日の夜にでも電話できますか?メールだとスムーズにやりとりができなくて。携帯の番号を教えて頂ければ、私から電話します」
今日は仕事が早番のため、早く帰れる。いつもはこんな事は思わないのだが「神様ありがとう」と、心の中で強く感謝した。
島田「夜の9時以降でしたら空いてます。携帯の番号は090…になります。よろしくお願いします。」
河西「ありがとうございます。では9時以降に電話しますね。私の番号は090〜になります。よろしくお願いします」
朝のメールのやりとりはそこで終わる。コーヒーはぬるくなってしまったが、久しぶりの女性とのやり取りで胸の奥は熱々のままだ。自分自身でも浮かれているのがよく分かる。心の中で「落ち着け、落ち着け」と連呼しつつ、ぬるくなったコーヒーを一気飲みする。その後はいつものように準備を整え、気持ちも新たに仕事に向かうのだった。
職場の朝9時から10時までの早番業務を終えて、いつもの持ち場に10時につくと空かさず声を掛けてくる人物がいた。
佐々木「先輩!なんか目の下にくまができてますけど、大丈夫ですか。山の疲れが抜けてないんじゃないですか。そういえば河西とうまくやり取りできました?」
まるで朝のメールのやりとりを知っているかのような口ぶりで、佐々木が歩み寄ってきた。河西さんを呼び捨てにするあたりが少々鼻につく。
島田「大丈夫だよ。河西さんとは今日の夜に電話で話をすることになってるんだ」と嬉しい気持ちを押し殺して平然と答える。
佐々木「へ〜良かったじゃないですか。これからも仲良くしてあげてくださいね」
そう言い放った後、顔馴染みのお客様に呼ばれてその場を離れるのだった。
昼休憩に入り最上階の食堂のカウンターでカツカレーを注文していると、隣りに中年の男性がやって来た。
「島田くん、仕事は順調かね」
その男性のほうに顔を向けると、声をかけてきたのは田中社長だった。
島田「楽しく仕事させて頂いております」
田中「そうか、それは良かった。タナカ電気がここまで来れたのも君たちのおかげだと思っているよ、本当にありがとう」と微笑みながら田中社長は答えた。
島田「田中社長あってのタナカ電気ですよ。私なんて何の役にもたってません」
緊張した面持ちでそう答えた瞬間、カツカレーがカウンターに置かれ慌てて手に取ろうとする。その光景を見た田中社長が、カツカレーを覗き込んでこう答えた。
田中「いや〜昔ね、山小屋でカツカレーを食べたんだけどあれは美味しかったね」
島田「社長も登山されるんですか?」
田中「昔は数え切れないくらい山に登ったよ。そういえば君が知ってる佐々木君も山に行くんだったな。彼の入社面接の時も山の話で盛り上がっちゃってさ。君はやるの?」
島田「私も彼に勧められて、この前行きました。まだまだ初心者ですけど、今度また行く予定です」
田中「そうかそうか、山は良いよ。日頃の忙しさを忘れて、美味い空気を吸って感動する景色を観る。なんか話してたら、山に行きたくなっちゃったな。また今度、行った時の話を聞かせてくれ」と言い、私の肩を軽くポンと叩き田中社長は姿を消したのだった。