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登山小説書いてます(4)

土曜日の朝、私は明らかに緊張していた。寝起き姿のまま顔を洗い、朝食を食べようと思い立って焼いた食パンにバターを塗ったまではよかったのだが。食欲がなく、パンを少しかじるも喉元の通りがすこぶる悪い。淹れたコーヒーを一口飲んでみるものの、食道を通り過ぎた瞬間に胃がキリキリと痛みだした。理由として挙げるなら、河西夏海と好日山荘前で初めて会う約束をしているからだろう。もともと極度の人見知りということもあって、それを治すためにタナカ電気に就職したのも理由の一つだったのだが。仕事以外で誰かと会うとなると、また話は別だ。しかも女性と2人で会うなんて、もう18年ぶりのことで動揺を隠すことができない。気を紛らわすためにテレビをつけると、週刊天気予報が映し出されていた。気象予報士がニュースキャスターと最近の出来事と織り交ぜつつ、来週以降は梅雨前線が九州地方から徐々に北上して関東も雨季に入るだろうと予想していた。椅子に座りながらテレビの画面を注視していると、テーブルに置かれた携帯電話が鳴った。佐々木春樹からのメールで「お疲れ様です!今日は夏海と会うんですよね?楽しんでくださいね〜」と書かれていた。何でも知っているようなコメントを送ってきやがって、何だが弄ばれているような感じがして気にくわない。だが今回の河西夏海との出会いを作ってくれたのは明らかに佐々木のおかげであって、自分の退屈な人生に光を当ててくれたのは彼の存在あってこそだ。といっても、この出会いがいつまで続くかは自分次第だと考えたらまた胃が痛みだした。こんなにも自分は不器用なんだと思い知った瞬間、苦笑いするしかなかった。昔からコーヒーは好きなのだが、今回ばかりは全て飲み干せそうにない。今度は胃薬のお世話になりそうだ。佐々木には「ありがとう。楽しんできます」とだけ文章を打ってメールを送り返した。
時計の針はまだ10時を指していたが、このまま家にいては落ち着きようがない。14時までまだ時間はあるが、悩みに悩み抜いた服に着替えて家を後にするのだった。

空を見上げると、灰色がかったガスが空一面を覆い尽くしていた。雨が降らなければよいのだが、あいにく傘は持っていない。白のTシャツに下はジーンズで合わせてきたが、風が吹くと少し肌寒い。動けばすぐに暑くなるだろう。西八王子駅に到着し、エスカレーターを上ると山用のウェアを着て軽めのリュックを背負った中高年と思わしき夫婦が、改札口付近で下山後の温泉の話などをしていた。今から高尾山にでも向かい、最近できた温泉施設で下山後の汗を流すのだろう。そういえば、登山の後の温泉など考えたこともなかった。
改札を通り、東京方面のホームに向かう。次に電車が来る時間まであと10分ほどあったため、自販機でブラックコーヒーを買ってベンチに座り込んだ。キャップを開けた瞬間、焙煎したコーヒーのほろ苦い香りが脳を刺激する。一口飲み込み、胃に流し込んだ瞬間また疼き出し胃薬を飲んでいないことに気付く。しまったと思うのと同じタイミングで、ジーンズのポケットに入れていた携帯電話の着信音が鳴った。河西夏海からのメールで「おはようございます。今日はよろしくお願いします」と書かれていた。少し考えてから、同じような内容のメールを送り返した。これだけの行動で息が詰まってしまい、条件反射で軽いため息が溢れる。本当に自分はどうしようもない生き物だなぁと心の中で呟いた。
そうこうしているうちに東京行きの上り電車が来たため、慌ててコーヒーのキャップを締めて乗り込んだ。

立川駅は西八王子駅から四つ先にあり、新宿から離れているものの巨大なモールやデパートなどが立ち並ぶ商業都市だ。中央線だけではなく青梅線や南武線が入り込み、都市モノレールからの乗り入れもあるため交通の便も良い。今後は住みたい町ランキング上位に浮上する可能性大だろう。
車輪の音と車体が左右に傾く振動に身体を委ねながら、つり革をグッと握りしめる。周りの人間が携帯電話を注視する中、私は何も考えずに車窓から見える景色をじっと眺めているだけだった。数分後、立川駅に到着する旨のアナウンスが車内に響き渡った。立川駅のホームに電車が滑り込み、停車したと同時にドアが開き一気に人がなだれ込もうとする。人の波に飲まれる前に、なんとかホームへ脱出し改札のある階段を駆け上った。